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歌麿の巨大美人画

すごいなぁ、江戸の人気浮世絵師・喜多川歌麿の『深川の雪』が4月から一般公開される予定だそうな。

〈箱根〉岡田美術館

会期:2014年4月4日~6月30日(会期中、休館日なし)
時間:9:00~17:00(最終入館16:30まで)
料金:2800円

住所:神奈川県足柄下郡箱根町大涌谷493-1
電話:0460-87-3931(代表)



ずっと行方不明だった喜多川歌麿の大作『深川の雪』が見つかったそうで、NHKの歴史ヒストリアで放送していた。
忘れないように内容をメモしておきたい。

2014年3月12日(Wed)放送/NHK歴史ヒストリア
「大発見!歌麿の最高傑作 巨大美人画に秘められた真実」
長く行方が分からなくなっていた、歌麿の最晩年の傑作『深川の雪』が東京の古美術商の手を経て姿を現した。
深川の雪
縦199㎝、横341㎝の巨大な掛け軸(→これがどれほど大きいかというと、歌麿の代表作『芸妓図』が20枚入る大きさ)
舞台は深川の料亭。27人の女性が描かれている。

版画・・・大量に刷られるもの
肉筆画・・1枚1枚彩色も含めて描かれたもので、1点ものなので大変価値がある

喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
江戸の浮世絵界の頂点を極めた人物。 
繊細で優麗な描線が特徴で、女性の様々な姿態や表情の女性美を追求した美人画の大家。女性の内面までを描き一世を風靡したばかりでなく、世界的にも高く評価されている。最晩年に幕府に囚われ、手鎖50日の末、文化3年9月20日死亡。50歳過ぎだったと伝えられている。

=流転の物語=
初めて記録にあらわれたのは栃木市。
明治12年(1879年)栃木市内の寺で骨董市が開かれた時の目録に「雪月花図」三部作と記されている。
明治20年代半ばまでに、栃木を離れパリに渡ったと考えられている。
パリではジャポニズムブームで浮世絵は人気最も高く、中でも争うように求められたのが歌麿の作品だった。

その後・・・・

「品川の月」は1903年大富豪フリーアが競売で競り落としアメリカに渡る。
「吉原の花」も1957年アメリカ最古の公共の美術館ワズワース・アセニアムが購入しアメリカに渡る。
「深川の雪」ある日本人がパリで購入し、昭和14(1939)年に日本で里帰りしていた。
そして、昭和23年に銀座の百貨店で3日間だけ展示された後、行方が分からなくなっていた。明治半ばに栃木を離れてからおよそ120年。今回の発見で、歌麿の雪月花三部作は流転の果てに今ようやくその全容を現しました。

=雪月花三部作=
雪月花三部作の舞台は江戸を代表する遊里。
その遊女たちの美に、雪月花という自然を代表する美を取り合わせる趣向の作品でした。
それぞれサイズも、制作された時期も異なることがわかっている。
『品川の月』
品川の月
縦147㎝×横319㎝。制作時期は天明8(1788)年ごろ
フリーア美術館(米国)所蔵

『吉原の花』
吉原の花
縦187㎝×横257㎝。制作時期は寛政3~4(1791-92)年ごろ
ワズワース・アセーニアム(米国)所蔵

『深川の月』
深川の雪
縦199×横341㎝。
制作時期は、「吉原の花」の製作から10数年後。
享和2(1802)年ごろ~文化3(1806)年ごろ


=歌麿と栃木のつながり=
江戸時代の栃木は商業の街として繁栄していた。
歌麿は少なくとも3回栃木を訪れて大作を完成させたと考えられている。

歌麿と栃木を結びつけたものは狂歌。
狂歌とは滑稽な和歌のこと。歌麿自身も、筆綾丸と名乗る狂歌師だった。
歌麿の作品に最も多く登場する狂歌師は通用徳成(本名:善野喜兵衛)
明治12年に栃木で歌麿の三部作を所有していたのが善野家。
そもそも歌麿を栃木に招いたのが善野家だと栃木では考えられている。

江戸でとんでもない才能を持った浮世絵師が登場したということで、先物買いのような感じで栃木で歓迎されたのではないかと考えられている。
「品川の月」を完成させて江戸へ戻るが・・・。
歌麿を待ち受けていたのは老中松平定信が推し進めていた寛政の改革だった。
松平定信は、武士を頂点とする支配体制を立て直すため、町人層を弾圧。贅沢を禁止した。
統制は出版界にも及び、多くの色を用いた浮世絵も禁止された。
そして、歌麿の雇主である版元、蔦谷重三郎も財産を半分没収されたり、歌麿と同じ蔦谷専属の作家山東京伝が手鎖り50日で掴まってしまった。
歌麿自身も次は自分が捕まるのではないかと心配したのか、制作された作品は極端に減ってしまった。

そんな歌麿を見かねて、再び栃木からプロポーズされたと考えられる。
そして、「吉原の花」の制作をしたのでは・・・。

再び江戸に戻った歌麿は、何かが吹っ切れたように快進撃を始めた。
歌麿の代名詞…美人大首絵。
女性の上半身や顔のみを画面いっぱいに描く版画で歌麿が初めて生み出した様式です。
上半身と顔、表情に集中することで、浮かび上がるのは女性の内面。
背景をなくし顔を中心に描くので色が少なくなる。
華美を禁じた幕府の政策を逆手に取り新しい世界を確立した。

寛政二年 浮世絵に町娘の名前を書くことを禁止
寛政八年 判じ絵(名前を絵文字で描くこと)禁止

明らかに歌麿を狙った禁令だった。
それでも歌麿は名もなき町娘を描き続け、描くことを止めなかった。

120年前のパリで、ゴンクールが書した『Utamaro』の中で「深川の雪」が描かれた経緯が記されている。
ある風刺的な版画を出した後、投獄される危険を感じた歌麿は遠く地方の友人宅に身をひそめた。
この巨大な掛け軸は、そのもてなしの返礼として描いたものだったと・・・。

「深川の雪」は一人として同じ姿の女性はいない。
人間への慈しみの目を感じる。
あくなき人間観察をし続け、歌麿は果てなき美の追求をし続けた。
「月」があって「花」があって、「雪」を描いて完成することができたことで、歌麿の人生の骨格が完成した。
歌麿の人間賛歌でありラストメッセージとなった。


歌麿の三部作の中で、ただ一つ日本で見ることができる「深川の雪」だけは掛け軸として鑑賞することができるとのこと。









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TAKAKO

Author:TAKAKO
8年間体操教室でのインストラクターを経て独立。草津温泉桐島屋旅館館主Ph.D.中澤芳章先生より統合医療の指導研修を受け、健康や人生に対する哲学を学ぶ。龍村修先生のインストラクター養成講座に参加。国際生活ヨガヒーリングヘルスコンサルタントを取得。2006年からヨーガインストラクターとして活動中。
楽しいことが大好きで、色んなことを勉強しながら吸収しながら成長中です。

 

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